言葉との出会い(三福)

皆さん、こんにちは。

今日のブログでは、先日幸田露伴の「努力論」という本の中にある、「三福」という言葉との出会いをご紹介したいと思います。「三福」とは、惜福、分福、植福の3つの福を指しております。

惜福とは、自分自身に起こす福に対して、福を全て使い尽くすのではなく、一部残しておくことで、また次の福を起こすということです。例えば、小さい子が1万円のおこずかいをもらった時に、1万円全てをすぐに使うのではなく、一部2000円でもとっておくようにすることが大切だということです。おそらく全ての福を使うことになれてしまうと、自分自身の欲をコントロールできなくなったり、福を享受しようとする姿に周りからねたみや嫉妬などいらぬ感情を起こすようなことにつながる。そのため、福を残すその謙虚な、堅実な姿勢が次の福を起こすことにつながっているのだと思います。

分福は、自分に起きた福をほかの人と分かち合うことです。先ほどの例でいくと、10000円のおこずかいを得て、8000円は自分で仮に使い、残りの2000円は兄弟など、他の人にわけ与えることだとです。会社であれば、売上が上がり、利益があがっても、社員に還元せずに、自分のふところばかりこやしていると、そういう姿を社員が見て、優秀な社員から抜けていってしまうのだと思います。

また相手に福をわけることで、いつか結果としてそれが自分にも戻ってくる。そんなことだと思います。

最後の植福は、これまで2つの自分や他人という身近な存在を超えた、社会に対しての福を起こすようなことです。例えば、企業であれば、大学などに寄付を行う、社会的な環境問題を解決するための技術の基礎開発に寄付するなどが、将来結果として、自社のイノベーションにもつながり、結果としては社会問題を解決することにつながる。そんなことだと思います。

結果としては。自分に戻ってくるのかもしれませんが、そういう枠を超えた社会のために、福の種を植えていく。そんな姿勢が結果として、社会のためにもつながり、自分にも戻ってくる。

いま取り上げた3つの福。それぞれ意味あいも、段階も違いますが、何か良い事が起きた時に、自分の心の中に意識するだけでも違うのではないでしょうか。

日本人、特に明治時代の日本の古典にも、このような優れた言葉が眠っております。改めて海外だけでなく、日本人の持つ歴史・文化に触れてみるのも良いように思います。